リオ・ヒマリのPUバナーに隠されたニーチェ哲学を読む
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ブルーアーカイブ、リオ(臨戦)、ヒマリ(臨戦)のピックアップ募集バナーに隠されたドイツ語について。今回は、バナーの端に小さく書かれていたニーチェ由来の章題を、少しだけ深掘りしていきます。
ニーチェのツァラトゥストラとは?
まず前提として、二人のバナーに書かれていたドイツ語は、19世紀の哲学者ニーチェの代表作『ツァラトゥストラはかく語りき』に由来する章題です。
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Von den Hinterweltlern:背後世界論者について(リオ)
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Nachtwandlerlied:夜遊人の歌 / 夜さすらいの歌(ヒマリ)
この本で語られている、特に有名な2つの思想が「超人」と「永劫回帰」です。後の章の解説に繋がるので、超ざっくりと要約しておきます。
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超人: 「神(絶対的な正解)」が死んだ世界で、周りに流されず、自ら新たな価値や目標を作り出し力強く生きる理想像。
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永劫回帰: もし今の人生(苦しみや不完全さを含む)が永遠に繰り返されるとしても、「それを含めて、もう一度!」と、今ある生を丸ごと肯定できるかという問い。
リオは「自らシステムを構築しようとした(超人的な)合理主義者」であり、ヒマリは「世界の深淵を楽しみ尽くす全知の天才」です。
これらを踏まえて、リオとヒマリに割り当てられた2つの章題が、いかに彼女たちのキャラクター性(あるいは過ち)を表しているかを考察していきます。
リオ:背後世界論者のダブルミーニング
まずはリオ側の「Von den Hinterweltlern」。日本語では、「背後世界論者について」 と訳されることがあります。
では、背後世界論者とは何なのか。本の中では、天国の存在を説く聖職者として描かれていますが、ものすごく簡単に言えば、「現実の世界ではなく、その背後にある理想の世界こそ本物だと考える人」のことです。
たとえば、目の前の現実はつらい。この世界は不完全で苦しい。だからこそ、「この世界の外側にある天国や理想郷、あるいは完璧な概念こそが本当の世界なのだ」と考えて、今ここにある現実から目を背けてしまう。
現代風に言うと「つらい現実から逃れて異世界転生できれば幸せになれるのに」といった考え。
ニーチェは、そうした現実逃避的な考え方を激しく批判していました。
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背後世界論者: この世界はダメ。本当の意味は別の場所にある。
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ニーチェの提唱する「超人」: 「本当の人生は別の場所にある」と思うな。価値はこの世界、この人生の中で創り出せ。
これを、かなり大胆に要約するなら、背後世界論者への批判とは、「理想の世界に逃げず、まず現実を見ろ」という方向の言葉だと受け取れます。
ゲーム内のリオに戻して考える
ここで、ゲーム内のリオに戻してみます。リオはメインストーリーVol.2 「時計じかけの花のパヴァーヌ編」 において、世界の滅亡を防ぐという大義のために、アリスという一人の生徒を犠牲にしようとしました。もちろん、リオなりに世界を守ろうとしていたのは確かです。ただ、その判断の中では、
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アリス本人の感情
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ゲーム開発部との関係
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先生や仲間たちが積み上げてきた日常
といったものが、かなり切り捨てられていました。
当時のリオの頭の中には、「世界を救うための完璧な計算式(合理的なシステム)」という名の理想郷(背後世界)が存在していました。しかしその一方で、目の前にいる一人の生徒の心や、現実に存在する泥臭いつながりは、切り捨てるべき「ノイズ」のように扱われていたのです。
そう見ると、当時のリオはまさしく、完璧なシステムという「理想(背後世界)」に囚われ、現実の重みを見失っていた人物とも言えます。
この意味では、リオに「背後世界論者について」という章題が重ねられているのは、かなり皮肉が効いています。
以前のリオは、理想のために現実を切り捨てる側だった。つまり、ある意味では背後世界論者に近い立場だったとも受け取れます。
その後のリオとの反転構造
ただし、リオの面白いところは、もう一つの解釈ができるところです。
その後のストーリーでは、リオは再び表舞台に現れ、先生たちと協力する立場になります。アリスにも正面から謝罪し、以前よりも 「人の感情」 や 「理屈に合わない関係性」 を理解しようと苦悩している姿が描かれています。
つまり現在のリオは、かつての自分のような「理想を優先しすぎる考え方」から、少しずつ距離を取り始めている。そう考えると、「背後世界論者について」という言葉には、二重の意味が見えてきます。
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以前のリオは、背後世界論者のように理想を優先していた
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現在のリオは、ニーチェが「背後世界論者について」で述べたように、背後世界論者の考え方を批判し、乗り越えようとしている
このように見ると、リオのバナーにこの章題が置かれているのは、単なる雰囲気づけではなく、過去のリオと現在のリオを同時に示すダブルミーニングのようにも受け取れます。
もちろん、ここまで読むのは少し踏み込んだ解釈です。ただ、リオというキャラクターの変化を考えると、かなりしっくり来る言葉ではあります。
ヒマリ:生を全肯定する夜さすらいの歌
次に、ヒマリ側の「Nachtwandlerlied」。こちらは、ざっくり言えば「夜さすらいの歌」、あるいは「夜をさまよう人の歌」といった意味合いです。
一般的には「夜遊人の歌」や「酔歌」と訳されることもありますが、ここでは「夜さすらいの歌」表記で扱います。
この章は、リオの「背後世界論者」よりもさらに抽象的で難解です。しかし、その核心をこれまた「超ざっくり」言うのであれば、「どんなにつらいことも含めて、今ここにある自分の人生をすべて肯定する」という、ニーチェ思想のゴールとも言える究極の賛歌です。
ニーチェはこう問いかけます。「現実はつらいし、苦しいこともある。それでも、もう一度まったく同じ人生を最初から繰り返すことになっても、お前はそれを喜んで受け入れられるか?」 と。
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普通の感覚: 楽しいことだけ続いてほしい、嫌なことや苦しいことは消えてほしい。
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ニーチェの提唱する「永劫回帰」: 本当に目の前の「喜び」を肯定するなら、その喜びを生み出してくれた過去の苦しみや不条理も、「すべてひっくるめて愛する」しかない。そんな人生なら何度繰り返してもいい。
と、かなり哲学的な話ですが、この記事ではひとまず「つらいこと込みで、自分の人生を100%肯定する歌」くらいにイメージしておいてください。
ゲーム内のヒマリに戻して考える
では、この「夜さすらいの歌(生の全肯定)」をヒマリに当てはめるとどうなるでしょうか。
リオのときほど分かりやすい悪役・対立構造ではないため、一見すると「そこまで綺麗にハマるか?」と思われるかもしれません。しかし、彼女のキャラクター性を深く掘り下げていくと、いくつか共通点が見えてきます。
まず、メインストーリーVol.2におけるヒマリは、アリスを「未来の危険」として切り捨てようとしたリオとは対照的に、アリスの側に寄り添いました。
リオが「アリスを切り捨てる安全策」という理想を優先したのに対し、ヒマリは、そんなリオをかなり強い言葉で否定していました。不完全で、何が起こるか分からない現実の人生をそのまま肯定する姿勢は、まさにこの章の精神と合致しています。
また、彼女のパーソナリティに注目すると、さらに面白い繋がりが見えてきます。
ヒマリは特異現象捜査部の部長であり、超天才ハッカーです。常人には見えない世界の裏側、普通なら触れたくないような怪しげな異常現象――。そんな「世界の暗がり(夜)」を恐れることなく歩き回り、真実を照らし出すキャラクターです。これこそ文字通り、深淵という名の夜を「さすらう人」の姿そのものではないでしょうか。
さらに、ヒマリといえばどんな状況でもブレない圧倒的な自信の持ち主です。「車いす」 という身体的な制約をものともせず、自らを「超天才清楚系病弱美少女ハッカー」と称し、自分の才能や美貌(?)に全幅の信頼を置いています。
自分の運命を呪うどころか、誰よりも自分の人生と才能に「陶酔」 し、楽しそうに生きているヒマリ。そう考えると、彼女の放つ圧倒的なポジティブさは、ニーチェが理想とした「苦しみさえも笑い飛ばして人生を全肯定する人間」の姿に、重なって見えてきませんか?
まとめ:二人の哲学の対比
今回のリオ、ヒマリのバナーに隠されていたドイツ語は、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』に由来する章題、という話でした。
| キャラ | バナーの章題(原語) | ニーチェ思想における意味 |
|---|---|---|
| リオ | Von den Hinterweltlern(背後世界論者について) | 現実から目を背け、背後世界を妄信する人への批判 |
| ヒマリ | Nachtwandlerlied(夜さすらいの歌) | 苦しみを含む運命そのものを愛する |
もちろん、今回の解釈が唯一の正解というわけではありません。ニーチェの哲学自体が非常に難解であり、専門家の間でも時代や文脈によって、多様な解釈が存在する領域です。公式側も、あえてプレイヤーごとに複数の読み方ができるように、含みを持たせて仕込んでいると思われます。
だからこそ、こういう小さなバナー文字から、いろいろ考察できるのが面白いところですね。リオの背負った「背後世界」、そしてヒマリが歌う「夜さすらいの歌」。みなさんは、この2つの言葉に込められた意味をどう読み解きましたか?
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